2.5次元が地雷な女が映画「刀剣乱舞」を見てきた

 

タイトルの通りである。

私は2.5次元が地雷である。どれくらい地雷かと言えば最初に舞台化が決定した時にはツイッターで発狂してフォロワーにその様を半ばエンターテイメントとして眺められていたぐらいには地雷なのである。見たくないし耳にしたくないという理由でステやミュ等の公式アカウントは自衛ブロックをしている。

関係無いが初期刀は加州清光審神者歴4年目の女である。(思い入れのある刀剣男士はまだいるがここでは割愛する)

 

そんな女が実写映画「刀剣乱舞」を見てきた。

 

理由は色々ある。2.5次元に興味のない人が絶賛していたこと。脚本がかの有名な小林靖子であったこと。しかし最大の理由は「衣装に正絹を使っている」という旨のツイートを見かけたことであった。

2.5次元化における最大のネック(だと個人的に思っている)はどうしてもコスプレお遊戯会的なものになってしまう、という個人的な偏見であった。2次元のディテールを3次元で再現するのが難しいのは理屈としては理解しているが、どうしても生身の男がちゃちい再現衣装を着てなんかやってる、という印象が2.5次元にはあったのだ。

それが「衣装に正絹?????それにベロアをふんだんに使っている?????(ベロア素材の話はフォロワーから聞いた。)」と脳が混乱し、「その衣装を見るためだけに映画に行かねば」と次の瞬間に審神者の女は思った。

 

そして本日行ってきた。

ここから先はネタバレがあるので理解した上で読み進めて欲しい。

 

良い点はすごくある。

まず脚本がいい。小林靖子最高、ありがとうと五体投地をしたいぐらいである。

なぜなら現在、別ジャンルにてロリコンミソジニー脚本家による主人公への自己投影と脚本家の推しアイドルと同じ名前の女の子キャラをヒロイン的なポジションに持ってきて夢展開秒読み、挙げ句ガバガバ世界観の矛盾や各種キャラ崩壊等を支持する信者とアンチ愚痴垢といった脚本家が原因の地獄ジャンルの渦中にいる女なのである。

そんな中、話の辻褄を合わせ、考察のしがいのある歴史的解釈も持ってきて、なおかつキャラ崩壊がなく既存キャラを引き立たせる脚本。実にあっぱれである。やっぱ脚本家に実力があると話ってこんなに面白くなるんだな、と肌で実感したのである。

 

次に役者さんの所作である。

事前に「着物での所作がすごい」という評判を聞いていたし、実際に見る前には「三日月のすり足で走る所作を見てくれ(※意訳)」とフォロワーから言われていたため各シーンの所作に注目して映画に臨むことになったのである。

 

いや実際すごかったですね役者さん。

 

あのクッソ重そうな着物を翻して戦ったり走ったり胡座かいたりといった動作を自然に行っている三日月役の役者さん、すごいな・・・努力の賜物なんだろうな・・・というのが映画の端々に見て取れる。殺陣もすごかった。皆ぐりんぐりん動くのでちょっと酔いそうになった。

 

 

そして映画を見るきっかけであった衣装である。

 

金のかかった服サイコ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!

というのが見た直後の感想である。陽の光を浴びて綺麗に輝く正絹!!!!!安っぽくないベロア!!!!!!ペラペラじゃなくて重量感がありそして質の良さそうな山姥切国広の布!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

衣装に金を掛けている映画は最高ということを私はHIGH&LOWで学んだ女である。それだけで個人的な映画「刀剣乱舞」への偏見はだいぶ薄れた。

 

あと幼女審神者が可愛かった。私はふええ系の足手まとい守られ恋愛脳で意志のない女性審神者がめちゃくちゃ苦手な女だが、そういうのを出さずに老人審神者からの代替わり&庇護するべき象徴として幼女審神者を出した采配に感謝をしたい。あの幼女審神者は守るべき歴史と未来の象徴なんだなあとしみじみ思わせられる。

 

 

 

 

 

 

 

と、ここまでだいぶ映画「刀剣乱舞」の良い点を挙げてきたが、やはり個人的にはネガティブな感想もある。以下の内容には賛否両論どころか否しかないと言われればそれまでだが、個人の感想でありそういう意見もあるだろう、と思って欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

自己語りですまないが、私には刀剣男士は2次元で存在しているが存在していないからこそ最高なのである、という大変歪んだ持論がある。2.5次元に拒否反応を示す理由もそこにある。2次元で最高に美しく完成した存在を何故3次元という生身の男に落とし込まねばならないのか?何故?????あの美しい立ち絵と声優による声帯で出来たものこそが刀剣男士の完成された最高の美しさであるのに????

 

映画「刀剣乱舞」、確かによかった。良い点はいっぱいある。しかし、私の2.5次元への拒否感を払拭するには値しなかった。

 

やっぱ短刀と脇差を成人男性が演ってるのは見てて辛いものがあった。ヒゲの剃り跡とか、たくましすぎる太ももとか。個人的は一番不動くんがコスプレ感が強くて拒否感があった。イラストに忠実といえばそれまでだが、ちょっと赤ら顔させすぎではないか?すごく浮いているように感じた。あと三日月の顎が割れてるのとやたら滅多に目立つ撫肩なのもちょいちょいチベットスナギツネ顔をする原因ではあった。ついでに鶯丸の髪型はやっぱ2次元じゃないと駄目だな・・・・と思った。映画のウィッグがすごくもさもさしている髪型にしか見えなかった。

 

結果的に、彼らは刀剣男士のフリをしている3次元の、生身の実在する男性だなあ、とやはり思ってしまったのである。

 

お遊戯とは言わない。演技は素晴らしかったと思うし、衣装も実写化するにあたって違和感の無いようにしていると思う。

ただやはり、彼らは刀剣男士ではないなあ、と思ってしまったのである。

しかし一番物申したいのはこれらではない。

 

 

映画で見知らぬ刀剣男士をお披露目するのは本当にやめてほしかった。

 

 

ということである。

 

刀剣乱舞の、原作に値するのはブラウザゲームである。映画、舞台、アニメ等はあくまでもメディアミックス作品である。たとえ原作のゲームがメディアミックスを前提に作られたおざなりなものであったとしても、原作は原作なのである。そこは揺らがない事実なのだ。

なのに、メディアミックス作品で新しいキャラクターをお披露目ってなんだよ。新刀剣男士、倶利伽羅江くんは、映画だけのオリジナルキャラクターなのか?分からないが、メディアミックスが先にあり、ゲームにあとから輸入されるというのが我慢ならない。

 

原作ゲームをおざなりにするのも大概にして欲しい。

 

原作であるブラウザゲームが焼きましのイベントを繰り返し、マンネリ化する一方で華々しく収益をあげ、広がっていくメディアミックス作品を見てきた。それでも原作はゲームであるのだから、きっとこの先、良い方に転がっていくに違いないと思いながらブラウザゲームを続けてきた。4年間も、である。

実際、ここ最近はだいぶシステム周りやイベント等も改善されて来たように思う。そう思えるまでに4年も掛かっているが。

内容は無いに等しいゲームである。ポチポチポチ脳死周回。それは日々プレイを続けてきて実感しているし、事実だとも思う。無味単調で変わり映えはない。しかしだからこそ、個人ごとの本丸で、それぞれ思い入れのある刀剣男士がいて、その本丸ごとの物語がある。

 

それが、「とある本丸の、とある物語」が成立している所以とも思う。

 

しかし、倶利伽羅江くんは映画で先に示されてしまった。どういうあり方でどういうふうに顕現して、どういう歴史を持っている刀なのか。それは彼の断片であったとしても、彼のその物語は映画で先に示されてしまったのである。

 

原作ゲームで彼と出会っても、彼は新しく私達と物語を紡いでいく存在ではない。

 

 

この先も、そういう刀剣男士が増えていくのだろうか。